『蜘蛛の微笑』

今回紹介する本は、映画化されているのでご存じの方も多いかもしれません。

あるいは一部の特殊性癖を愛好する方の中では名前を知っているという方も少なくないのではないでしょうか。

 

 

あらすじ

外科医のリシャールは、愛人を眺める。他の男に鞭うたれ、激しく犯される姿を。日々リシャールは変態的な行為を愛人に強要し…無骨な銀行強盗は、警官を殺害してしまった。たりない脳味噌を稼働させる中、テレビ番組を観て完全なる逃亡手段を思いつくが…微笑みながら“蜘蛛”は、“獲物”を暗闇に閉じ込めた。自らの排泄物、飢え、恐怖にまみれた“獲物”を“蜘蛛”は切り刻んでゆく…三つの謎が絡む淫靡なミステリ。(各種通販サイトより)

 

三つの謎が絡む、と書いてあるようにこの小説は三つの異なる視点の話が交錯するような形で進行していきます。少々わかりにくいですが、「…」で区切ったそれぞれの話が独立しているんですね。外科医リシャール、無骨な銀行強盗、”蜘蛛”の一見無関係にも思えるエピソードが一つの筋のある話として収束していき、一つの事件の全体像を描きます。

それでもあえてあらすじを一言で説明するならば、外科医リシャールが家に囲っている愛人エヴの正体に迫る、といった感じでしょうか。

 

 

総評

この本は1984年にフランスで発表された作品を邦訳したものです。

当時の日本のミステリ界隈では注目されていた作品なようで、邦訳版が発売された年の「このミステリーがすごい!」にランクインしています。

実際に物語が収束されていく過程の構成は見事で、思わず舌を巻いてしまいました。156ページという比較的短めのお話なのですが、この長さで3つの視点の話を綺麗にまとめきっているのは一定以上の手腕がなければ不可能でしょう。後述するフェチズムを刺激するようなシーンもあるのですが、進行において一切の無駄がありません。

作者のジョンケのキャリアの中では比較的新人の頃に書かれた作品だそうです。ジョンケの才能を伺わせますね。フランス本国ではどういった扱いを受けているのかはわかりませんが、この作品が出版された後も20年以上ジョンケは様々な作品を出版し続けています。どうやら暗黒小説が得意な作家のようですね。

 

しかし、私自身はあまりミステリには明るくない方なので、あえて違う視点からの感想を述べましょう。構成の素晴らしさやミステリ要素以外ではまずこちらがフックになっていることは間違いないはずです。

 

 

ネタバレ注意

基本的にこのブログは感想を共有したいという動機で書いているため、ネタバレには配慮しないことが多いです。

ただ、それでも今回こうやって前置きをしているのは訳者の平岡敦氏が予備知識なしで読むことを推奨しているためです。そういった楽しみ方を損ねたくない未読の方はブラウザバックを推奨します。

 

 

以下、ネタバレ

 

 

やはりTSFって素晴らしいですね。

映画ではありますが、『ムカデ人間』などの強制人体改造ものは一定の需要があるので、強制性転換外科手術をメインに据えた商業作品も一定数以上あるのかと思いきや意外とそうでもないんですよね。TSFというだけならば、他にも選択肢はあるのでしょうが、外科手術による強制性転換は『蜘蛛の微笑』とその映画化作品の『私が、生きる肌』以外は知りません。もしあればコメント欄で教えていただけると嬉しいです。

商業作品ではあるのであまりにねちっこい描写は期待していなかったのですが、青年ヴァンサンが美女エヴへと変えられていく監禁生活の描写はその手の愛好家が集まる場所で公開された作品としても遜色がない程にエロチックでした。(少々失礼な言い方かもしれません……)

私は特に女性ホルモン投与で発達した胸を蜘蛛に見られたくないがあまりに隠す場面が好きです。自分は男のはずなのに、つい先ほどまで数か月間裸を当然のように見せていた相手に、見られたくないと手で庇うような仕草を見せるようになるんです。

まるでそこが恥部であるかのように。男であればそこは恥部でもなんでもないはずなのに。”自分が男である”と自覚しているのであれば隠す必要なんてないのに。

 

また、女性化処置を施す前に親しく接して警戒心を薄れさせたり、さらにその前段階において人間未満の境遇に置くことによって対象の心理的ハードルを下げるのは、TSFでは逆にあまり見ない描写なので少し物珍しかったですね。一度完膚なきまでに人間性を否定することによって、新しい人間性を獲得しやすくなる土台を形成しているのでしょうか?

言われてみればTSFっていわばアイデンティティの変化や喪失が根幹にあるジャンルなので、変化後も地続きの記憶や人格を持っているのだとしても、変化前の人物の自己同一性はもう死んでいるも同然なのかもしれませんね。

物語で言うと、こうしてヴァンサンが死に、エヴという存在が新たに生まれたのだと解釈できるかもしれません。

話は逸れますが、復讐目的とはいえ一度糞尿に塗れさせていた相手にリシャールもよく性的興奮どころか恋愛感情を抱けるものだと感心しました。これは私にスカトロ趣味がないからでしょうか?まあエヴは美女なので倒錯した日々を送る中で恋に落ちても不思議ではないのですが……。

 

他にも見どころはたくさんありますが、人工膣を外科手術で作る描写などの生々しさは外科手術による性転換でしか味わえない興奮ですね。pixivやノクターンなどでも増えてほしいものです。

 

一般小説の中ではやはり倒錯しているからなのか、レビューを漁っているとグロテスクに感じるという感想がいくつか散見されました。外科手術による性転換描写がそうさせるのか、エヴが置かれている境遇がそうさせるのか、それ以前にそういった性癖を持たない人間から見たらTSFというジャンルそのものがそう映るのかはわかりませんが……。

 

 

しかし、この作品の素晴らしいところは、強制人体改造作品であるのにも関わらず、恋愛作品でもあるという点にもあります。

自分のことを強制改造してきた相手のことを信頼してしまい、相手の方も復讐のためにひどい仕打ちを今なお積み重ねている相手に恋愛感情のようなものを持ってしまう。一種の共依存でしょうか?TSFにおいて、強制性転換からの恋愛オチというのは少なくはないのですが、快楽堕ちというものが多くこういったストックホルム症候群的な恋の落ち方を双方ともにするというのは珍しい気がしますね。

リシャール、エヴのそういった細かい心の機微が事細かに描かれていて、やや倒錯したシチュエーションなのに、いやだからこそなのかもしれませんが不思議と説得力が生まれていました。

 

二人の辿る顛末ともいえるラストシーンについては様々な解釈があると思います。私は最初リシャールも殺されたと解釈したのですが、明確な死亡描写がないことや訳者があとがきで純愛だと述べていることから、結局エヴはリシャールを殺せなかったのだとするのが自然なのではないかと思いました。

 

 

ところでこの作品、上記でも触れたように映画化されているのですが、なんとシナリオが全く違います。話もキャラも原案レベルにしか原型が残っておらず、タイトルも『蜘蛛の微笑』から『私が、生きる肌』へと改題されています。

『蜘蛛の微笑』を気に入ったので、本当は今すぐにでも見たいのですが、調べる時にうっかりネタバレを見てしまったので忘れた頃に見ようかと思っています。

それにしても、『蜘蛛の微笑』を恋愛小説として解釈している自分としては映画版のあらすじはやや受け入れがたいものがありますね。もはや原案レベルにしか残っていないのであれば別物として楽しめばいいだけかもしれませんが。未視聴ゆえの意見なので、見ればまた印象も変わるのでしょうか……?

 

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こちらは映画版のノベライズ……ではなく、なんとタイトルを変更したうえで表紙を映画版のものにした『蜘蛛の微笑』の新装版だそうで……。はっきり言って紛らわしいのでタイトルだけは元のままにしてほしかったですね。

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